サウナから水風呂に入り、
外気浴の椅子に腰を下ろした瞬間、
腕や太ももに赤とピンクの網目模様がぱっと
浮かび上がった経験はないでしょうか。
サウナ好きの間では、
この独特のまだら模様のことを「あまみ」と呼びます。
まるで火照った肌に、小さな地図が浮かび上がったような、
なんとも不思議な模様です。
実はこの「あまみ」という呼び名、
サウナとは一見関係のなさそうな、
ある地方の方言が由来だと言われています。
この記事では、あまみの正体や名前の由来、
そして「ととのう」感覚との関係まで、
知れば誰かに話したくなる雑学としてご紹介します。
サウナ好きが密かに喜ぶ「あまみ」の正体とは
サウナと水風呂を交互に楽しんでいる人の中には、
腕や脚に赤い網目模様が浮かんだのを見て、
思わず口元がゆるむ人がいます。
実はこの「あまみ」、医学的には「動静脈吻合」と
呼ばれる体の仕組みによって起こる、
一時的な生理反応とされています。
難しい言葉に聞こえますが、
要するに体が体温を効率よく調節しようとした結果、
皮膚の表面にまだら模様が浮き出てくる現象のことです。
模様の見た目には個人差がある
あまみの出方は人によって表情豊かで、
太ももの内側にくっきりとした網目模様が広がる人もいれば、
腕や背中にうっすらとしたまだら模様が浮かぶ人もいます。
色合いも、鮮やかな赤に近いものから、
ピンクがかった優しい色合いのものまでさまざまです。
同じ「あまみ」という名前で呼ばれていても、
一人ひとりの肌に浮かぶ模様は、
まるで指紋のように少しずつ違っているというのも、
面白いところです。
サウナ好きにとっての「ちょっとした喜び」
サウナ愛好家の間では、あまみが出ることは
「今日はしっかり温まって、
しっかり冷えた証拠」として、
ちょっとした喜びのサインになっています。
SNSでサウナ好きの投稿を見ていると、
あまみが
出た腕や脚の写真とともに「今日もあまみ出た」と
いう言葉が添えられているのを見かけることがあります。
知らない人からすれば単なる肌の変化に見えるものが、
サウナ好きにとっては
「今日のサウナがうまくいった記念のようなも
の」になっているのです。
もしあなたがサウナに通い始めたばかりで、
まだこの模様を見たことがなければ、
次のサウナ時間はちょっとした宝探しの気分で
過ごしてみるのも楽しいかもしれません。
サウナ好きだけが知っている言葉の世界
サウナの世界には、「あまみ」のほかにも、
サウナ好きを意味する「サウナー」や、
サウナ活動を略した「サ活」など、
独特の言葉がいくつも存在します。
こうした仲間内だけで通じる言葉があること自体、
サウナが単なる健康法ではなく、
一つの文化として根づいている証拠だといえるでしょう。
言葉を知れば知るほど、
これまで見えていなかった世界の輪郭が、
少しずつくっきりと見えてくるような感覚があります。
あまみが出やすいとされる部位
あまみは全身どこにでも現れる可能性がありますが、
中でも太ももの内側やひじの内側、
背中や二の腕あたりに出やすいといわれています。
これらの部位は皮膚が比較的薄く、
毛細血管の変化が表面から見えやすいこと
が関係していると考えられます。
お風呂上がりに鏡の前で腕や脚をチェックする人は多くても、
サウナのあとにこうした部位まで
じっくり観察する人は意外と少ないかもしれません。
友人や家族とサウナに行った際に、
お互いの模様の出方を見せ合って盛り上がるのも、
サウナならではの楽しいコミュニケーションの一つです。
次にサウナへ行った際は、
いつもは見過ごしがちなこれらの部位にも、
少し目を向けてみてはいかがでしょうか。
なぜ「あまみ」と呼ぶのか、実は方言だった
ところで、なぜこの模様のことを「あまみ」と
呼ぶようになったのでしょうか。
実はこの呼び名、富山県の方言が由来だという説があります。
囲炉裏端で生まれていた言葉
富山では、ストーブや囲炉裏の火に長い時間当たり続けること
で皮膚にできる斑点模様のことを、
昔から「火だこ」と呼んでいました。
そしてその「火だこ」を、
富山の言葉で「あまみ」と呼んでいたことが、
サウナ用語としての「あまみ」の語源に
なったとされています。
寒い土地で暮らす人々にとって、
火のそばで長く過ごすことは、
冬を乗り切るための欠かせない習慣だったのでしょう。
その暮らしの中で自然に生まれた言葉が、
時代を越えて、
まったく違う場所で新しい命を吹き込まれたというのは、
なんとも不思議な巡り合わせです。
最新の娯楽と、昔ながらの暮らしの知恵
サウナという最新の娯楽と、
囲炉裏端で暖を取っていた昔ながらの暮らしの言葉が、
こんな形でつながっていたとは、
興味深い話です。
寒い冬に火のそばで長く過ごしていたご先祖様たちも、
きっと同じような赤い模様を肌に浮かべながら、
暖かさに包まれていたのかもしれません。
サウナブームが生んだ新しい言葉のようでいて、
実は昔からの暮らしの知恵と地続きだったというのは、
知るほどに味わい深いエピソードだといえるでしょう。
次に誰かとサウナの話をするとき、
この語源のエピソードを添えてみると、
会話が一段と盛り上がるかもしれません。
方言が今も生き続けているという事実
方言というと、だんだん使われなくなっていく言葉と
いうイメージを持つ人も多いかもしれません。
けれど「あまみ」のように、
もともとの地域を離れて、
まったく新しい場所で新しい意味を帯びなが
ら使われ続けている言葉があるというのは、
なんとも心温まる話です。
言葉というものは、生まれた場所に縛られず、
時代や場所を越えて形を変えなが
ら生き続けていくものなのかもしれません。
あまみが浮かび上がる仕組み、体の中で起きていること
ではなぜ、
サウナと水風呂を繰り返すとこの模様が浮かぶのでしょうか。
私たちの体には、
皮膚のすぐ下に無数の毛細血管が張り巡らされていて、
体温を保つために血液の流れを常に調整しています。
血液の通り道が切り替わる瞬間
サウナの高温で体が温まると、
体はできるだけ早く熱を外へ逃がそうとして、
皮膚表面の血流を一気に増やします。
このとき、
動脈から静脈へ血液が直接流れ込む「動静脈吻合」と
いう仕組みが活発になると考えられています。
血液が通常とは違うルートを通ることで、
皮膚の表面に赤い網目のような模様が浮かび上がる、
というのが「あまみ」の正体です。
そして水風呂で体を急激に冷やすと、
この血流の変化がさらに際立ち、
赤みと白さのコントラストがくっきりと現れやすくなります。
サウナ室の中で体温がじわじわと上がっていく感覚、
水風呂に入った瞬間に一気に体が引き締まる感覚、
そのどちらもが、
この模様を生み出す下ごしらえになっているというわけです。
体の内側で起きている、
目に見えない温度と血流の駆け引きが、
最後に皮膚の表面という形であらわれてくる。
そう考えると、
あまみは体からの小さなお便りのようにも思えてきます。
体が一生懸命に応えてくれているサイン
つまりあまみは、
体が一生懸命に体温を調整しようとしている、
いわば頑張りの跡のようなものだといえるでしょう。
普段は意識することのない体の仕組みが、
サウナという場面でこんな形で
目に見えるようになるというのは、
なんとも面白いことです。
デスクワークで一日中座りっぱなしの生活を送っていると、
自分の血の巡りを意識する機会はなかなかありません。
あまみという模様を通して、
自分の体が今どんな状態にあるのかを、
ふと立ち止まって感じられるのも、
サウナならではの体験なのかもしれません。
目に見えない働きが、目に見える形になるまで
普段、私たちの体の中では、
心臓が血液を送り出し、
血管がその流れを調整するという働きが、
休むことなく続いています。
その働きのほとんどは、皮膚の下で静かに行われていて、
私たちがそれを直接目にすることはありません。
あまみという模様は、いわば
体の内側の働きが、たまたま皮膚の表面という「舞台」に
現れた瞬間だと考えると、
少し見え方が変わってくるのではないでしょうか。
あまみが出やすい人、出にくい人がいるという話
サウナ好きの間では「今日はあまみが
出た」「なかなか出ない」という会話がよく交わされます。
実際のところ、
あまみの出やすさには個人差があるとされていて、
出にくいからといって、
サウナの楽しみ方が間違っているわけではありません。
出方に差が出る理由
肌の血管の反応の仕方や、
その日の体調、サウナと水風呂を繰り返す回数など、
あまみの出方にはさまざまな要素が
関わっていると考えられています。
同じ人でも、その日の疲れ具合や気温、
サウナ室の温度によって、
模様の出方が違って見えることもあります。
「今日はなかなかあまみが出ないな」と感じても、
気にしすぎる必要はありません。
模様よりも大切にしたいこと
あまみが出る出ないにかかわらず、
サウナ・水風呂・外気浴と
いうサイクルそのものを味わうことが、
本来の楽しみ方だといえます。
模様が出たら「今日はよく温まったな」と
いう一つの目安として楽しみ、
出なくても気にせず、
その日の心地よさをそのまま受け取ってみてください。
あまみは、あくまで一過性の生理反応で、
時間が経てば自然に薄れて消えていくとされているものです。
珍しい模様が消えずにずっと気になる場合や、
痛み・かゆみなど他の症状を伴う場合は、
自己判断せず専門家に相談するようにしましょう。
基本的には、
時間とともに自然に薄れていくとされる一過性のものなので、
模様そのものに神経質になりすぎず、
あくまでサウナを楽しんだ結果の一つとして、
おおらかに受け止めておくくらいが
ちょうどよいのかもしれません。
模様の有無に一喜一憂するよりも、
その日その日の体との対話を楽しむくらいの気持ちで、
サウナ時間と付き合っていけるとよいのではないでしょうか。
比べる相手は、ほかの誰かではなく昨日の自分
SNSで見かける他の人のあまみと自分の模様を比べて、
「自分はまだまだだ」と
感じてしまう人もいるかもしれません。
けれど、あまみの出やすさは体質によるところが大きく、
他人と比べても意味のあるものではありません。
比べるべき相手がいるとすれば、
それは今日のあなた自身と、
少し前のあなた自身くらいのものです。
模様が教えてくれる、自分だけのペース
何度もサウナに通ううちに、
自分がどんなときにあまみが出やすいか、
なんとなくわかってくることがあります。
水風呂の時間を少し長めにした日、
外気浴でゆっくり呼吸を整えた日など、
自分なりのちょうどいいペースが、
少しずつ見えてくるものです。
これは他人のやり方をそっくりまねるよりも、
自分の体と対話しながら見つけていくものだからこそ、
価値のある発見だといえるでしょう。
効率や正解を求めがちな日常から少し離れて、
自分だけのペースをゆっくり探せる時間があるというのは、
それだけで十分に贅沢なことなのかもしれません。
「ととのう」とあまみ、両方感じられたら特別な日
サウナ好きの間でよく使われるもう一つの言葉に、
「ととのう」があります。
「ととのう」とは、
サウナ・水風呂・外気浴を繰り返す中で得られる、
独特の心地よさを指す言葉です。
自律神経の切り替わりが生む心地よさ
医学的には、サウナの熱で興奮した交感神経が、
水風呂と外気浴によって落ち着き、
副交感神経が優位になっていく過程で
生まれる感覚だと考えられています。
体が「もう命の危険はない」と判断し、
ほっと力が抜けていくような、
あの独特のリラックス感です。
忙しい毎日の中で気を張り続けていると、
自分がどれだけ気を張っていたかに
すら気づけなくなってしまうことがあります。
そんな中でふっと訪れる「ととのう」の瞬間は、
自分でも忘れていた、
心の底の力の抜き方を思い出させてくれるひと
ときなのかもしれません。
言葉が広まったきっかけ
この「ととのう」という言葉が
広く知られるようになったのは、
漫画家のタナカカツキさんが2015年から
連載していた作品の影響が大きいとされています。
作中の主人公が発する「とと
のった」というセリフが話題となり、
その後のドラマ化をきっかけに、
この言葉は一気に世の中へ広まっていきました。
「あまみ」が体の表面に現れるサインだとすれば、
「ととのう」は体の内側で
起きている心地よさのサインだといえるかもしれません。
この二つを同じ日に感じられたときは、
まさに「今日はいいサウナだった」と、
心から思える特別な一日になるのではないでしょうか。
言葉があることで、感覚に輪郭が生まれる
「ととのう」という言葉が広まる前から、
その心地よさ自体はきっと多くの人が感じていたはずです。
けれど、ぴったりの言葉がなかったころは、
その感覚をうまく人に伝えることができませんでした。
名前がつくことで、
それまで漠然としていた感覚に輪郭が生まれ、
多くの人と分かち合えるようになる、
というのは言葉が持つ、
静かだけれど大きな力だといえるでしょう。
日本にサウナブームが来るまでの、知られざる歴史
今でこそ身近な存在になったサウナですが、
日本に定着するまでには、
いくつもの波がありました。
第一次ブームから第二次ブームへ
本格的なサウナ施設が日本に初めて登場したのは1951年、
銀座にできた「東京温泉」だとされています。
その後、
1964年の東京オリンピックで選手村にサウナ施設が
設置されたことが評判を呼び、
これが第一次のサウナブームになったといわれています。
選手たちがサウナで疲れを癒す様子が伝わったことで、
一般の人々の間にも「サウナ」という存在が
広く知られるようになっていきました。
世界のトップアスリートたちが大舞台の合間に
選んだ場所がサウナだったというのは、
当時の人々にとって、
サウナの価値を知る大きなきっかけになったことでしょう。
1990年代には、健康志向の高まりとともに
第二次のブームが訪れたとされています。
SNSとドラマが後押しした第三次ブーム
2016年頃からSNSでサウナ巡りを
楽しむ投稿が増え始めたことをきっかけに、
第三次ブームが始まりました。
2019年には、
先ほど紹介した漫画作品がドラマ化されたことで、
「ととのう」という言葉とともに、
サウナ人気は一気に加速していきます。
こうして振り返ってみると、
サウナは何十年もかけて、
少しずつ日本の暮らしに
根づいてきた文化だということがわかります。
今、当たり前のように楽しんでいるサウナの背景に、
こんなに長い歴史が積み重なっていたと知ると、
なんだか一段と味わい深く感じられるのではないでしょうか。
ブームのたびに、楽しみ方が少しずつ変わってきた
第一次ブームの頃のサウナは、
どちらかといえば健康や体力づくりのため
の場所という側面が強かったようです。
それが第三次ブームの今では、
「ととのう」という心地よさそのものを楽しむ、
いわば心のためのリラックス時間と
いう位置づけに変わってきています。
同じ「サウナ」という場所でも、
時代とともに人々が求めるものが
少しずつ変化してきたというのは、
なかなか興味深い視点です。
フィンランド発祥のロウリュ、遠い異国から届いた文化
サウナのルーツをさらにさかのぼると、
その発祥の地はフィンランドだとされています。
6000年前から続く暮らしの知恵
フィンランドでは、約6000年前の狩猟採集の時代から、
疲れを癒すためのテント式のサウナが
使われていたという説があります。
「サウナ」という言葉自体、
もともとフィンランド語であり、
それだけこの国の暮らしに
深く根づいた文化だったことがうかがえます。
厳しい寒さの中で狩りをして暮らしていた人々にとって、
サウナは体を温めるだけでなく、
心を落ち着けるための大切な時間でもあったのでしょう。
ロウリュという入浴法と世界への広がり
フィンランドの伝統的なサウナには、
熱したサウナストーンに水をかけて蒸気を
発生させる「ロウリュ」という入浴法があります。
電気ストーブがまだなかった時代から、
人々は火で焼いた石に水をかけ、
立ちのぼる蒸気とともにサウナを楽しんでいたそうです。
そんな北欧の暮らしの知恵が世界に
知られるきっかけとなったのが、
1936年のベルリンオリンピックだったといわれています。
遠いフィンランドの暮らしの知恵が、
時代と海を越えて日本にまで届き、
今こうして私たちが「あまみ」を
喜びながら楽しんでいると思うと、
なんとも壮大なつながりを感じずにはいられません。
一枚の石と一杯の水から始まった文化が、
遠い島国のサウナ室で、
誰かの肌にあまみを浮かばせているというのは、
想像するだけで少し胸が熱くなる話です。
遠い国の習慣が、暮らしの一部になるということ
考えてみれば、私たちの暮らしの中には、
遠い国から届いて、
いつの間にか当たり前になったものがたくさんあります。
サウナもその一つで、
遠いフィンランドの人々が数千年かけて育んできた文化が、
今では週末のちょっとした楽しみとして、
多くの人の暮らしに溶け込んでいます。
次にサウナ室の熱気に包まれるとき、
その熱の向こうに、
遠い北欧の森や湖の景色を思い浮かべてみるのも、
ちょっと贅沢な楽しみ方かもしれません。
形を変えながら、今も広がり続ける文化
フィンランドで生まれた文化が日本に届き、
日本ならでは
の「ととのう」という感覚や「あまみ」と
いう言葉と結びついて、独自の形に育っていきました。
文化というものは、一つの場所にとどまらず、
旅をしながら少しずつ形を
変えていくものなのかもしれません。
今このときも、世界のどこかで新しいサウナの楽しみ方が
生まれているのだと思うと、
これから先の広がりにも、
ちょっとした期待を抱かずにはいられません。
まとめ:あまみもととのうも、サウナがくれるささやかなご褒美
今日ご紹介した内容を、ひとことでまとめるなら
「あまみもととのうも、体が一生懸命に
応えてくれているサインだった」ということです。
| 用語 | 意味 | 現れる場所 |
|---|---|---|
| あまみ | 血流の変化で浮かぶ赤い網目模様 | 肌の表面 |
| ととのう | 自律神経が切り替わる独特の心地よさ | 心と体の内側 |
この二つの言葉をあらためて並べてみると、
サウナが体の外側と内側の両方に
働きかけているということが、
よくわかるのではないでしょうか。
肌の表面に浮かぶ模様と、
心の奥に広がる心地よさ。
この両方をあわせて味わえるからこそ、
サウナという時間は、
これほど多くの人を惹きつけ続けているのかもしれません。
富山の方言から生まれたという語源、
体の中で起きている血流の仕組み、
そして遠いフィンランドから続く長い歴史。
知らなかった一面を知るだけで、
いつものサウナ時間が、
これまでよりずっと味わい深いものに
変わっていくのではないでしょうか。
普段何気なく通っているサウナ室も、
一つひとつの言葉の背景を知ってから足を踏み入れると、
少し違った景色に見えてくるかもしれません。
肌に浮かぶ模様一つ、心に広がる心地よさ一つにも、
こんなに長い歴史と、
こんなに面白い理由が隠れていたのです。
次にサウナへ行く機会があれば、
ぜひ自分の肌にあまみが浮かんでいないか、
そっと確かめてみてください。
模様が出ていてもいなくても、
その日あなたが感じた心地よさこそが、
何より大切なご褒美です。
忙しさに追われる毎日の中で、
体と心の両方にご褒美をあげられる時間は、
思っているよりも貴重なものです。
富山の囲炉裏端から、フィンランドの森の奥から、
時代と国境を越えてつながってきたこの文化を、
これからもゆっくりと楽しんでいってください。
心と体をゆるめてくれる趣味を探しているなら、
趣味が見つからない大人へ、探し方をちょっと変えるだけでよかった
という記事でも、
日常に楽しみを見つけるヒントをご紹介しています。
また、サウナの外気浴のようにぼんやりと
夜空を眺める時間が好きな方には、
北杜市はなぜ星空観察の名所になったのか
という記事もおすすめです。
よかったら合わせてご覧いただき、
ご自分だけの「ととのう」時間を、
これからも大切にしてみてください。
今日という一日を頑張ったご自分に、
あまみとととのうという、
ささやかだけれど確かなご褒美を、
どうぞ届けてあげてください。


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