タワーマンションのエントランスで、
知らない住民の方と同じエレベーターに乗り合わせた瞬間、
なんとも言えない空気が流れた経験はありませんか。
会釈だけしてあとは無言、
階数表示の数字をじっと見つめながら、
早く自分の階に着かないかとそわそわしてしまう。
そんな数十秒のはずが、やけに長く感じられる時間を、
毎日のように味わっている方は、
決して少なくありません。
エレベーターの数自体は限られているのに、
住んでいる世帯の数はとても多い。
だからこそ、「知り合いではないけれど、
まったくの他人でもない」という、
なんとも中途半端な距離感の人と
毎日のように乗り合わせることになります。
この記事では、タワマンのエレベーターが
なぜあんなに気まずく感じられるのか、
そしてその気まずさと上手に付き合っていくための考え方を、
一緒に見ていきたいと思います。
「引っ越したばかりだから
」「自分の性格が人見知りだから」と、
つい自分自身の問題として抱え込んでしまいがちですが、
実際にはそうとも限りません。
読み終えるころには、今日からエレベーターに乗るのが、
ほんの少し気楽になる——そんな気づきを
持ち帰っていただけたら嬉しく思います。
タワマンのエレベーターが気まずくなる、あの独特の瞬間
戸建てや低層のマンションではあまり起きないのに、
タワーマンションのエレベーターで
だけ強く感じる気まずさには、
実はいくつかの条件が重なっています。
乗っている時間そのものが長い
まず、乗っている時間そのものが長いということです。
低層階なら数秒で降りられますが、
30階・40階まで上がるエレベーターでは、
一往復するだけでも1分近くかかることも珍しくありません。
その間、
密室の中に見知らぬ人と二人きりという状況が続きます。
途中の階で誰かが乗ってくるたびに、
扉が開いてはまた閉まり、その小さな区切りごとに、
気まずさがリセットされるどころか、
むしろ積み重なっていくように感じることさえあります。
「知り合いかもしれない」という中途半端な関係
さらに、タワーマンションは住戸数が多いぶん、
「顔は見たことがあるけれど、
誰だかはっきりしない」という中途半端な関係の人と
乗り合わせることが多いのも特徴です。
まったくの他人であれば、
黙っていても不自然ではありません。
しかし「もしかしたら同じ階の人かもしれない」と思うと、
挨拶をすべきかどうか、迷いが生まれてしまいます。
エレベーターホールですれ違ったことがある気がする、
ゴミ置き場で見かけたことがある気がする。
そんな記憶の中の曖昧さが、
とっさの判断を難しくしているのかもしれません。
多くの住民が同じ悩みを抱えている
Yahoo!知恵袋にも、
タワーマンションのエレベーター事情に
関する質問が実際に投稿されており、
朝のラッシュ時には
なかなか乗れないほど混み合うこともあるようです。
それだけ多くの人が、同じエレベーターという小さな空間を、
毎日繰り返し共有しているということでもあります。
裏を返せば、あなたが今感じているその気まずさは、
同じ建物に住む多くの人が、
同じように感じている可能性が高いということです。
エレベーターの前で会釈だけを交わしている人が、
実は心の中で「今日も気まずいな」と
思っているかもしれない、
と想像してみてください。
そう考えるだけで、
少し親近感が湧いてくるのではないでしょうか。気まずさは、
あなた一人だけが背負っているものではありません。
「自分だけが気まずく感じているので
はないか」と思い込む必要は、
実はまったくありません。
時間帯によっても、気まずさの質は変わってきます。
朝の出勤時間帯は、
エレベーターの前に何人もの列ができることもあり、
乗り合わせる人数そのものが多くなります。
この場合は一対一ではなく複数人になるため、
かえって気まずさが分散されて感じに
くいという声もあります。一方で、
夜遅い時間や休日の昼間など、
利用者が少ない時間帯にたまたま二人きりになると、
朝よりも強い気まずさを感じやすい傾向があるようです。
人数が多いか少ないかによって、
気まずさの感じ方そのものが変わってくるというのは、
覚えておくと少し気が楽になる視点かもしれません。
子どもや高齢者、
ペットが一緒だと空気が和らぐこともあります。
不思議なもので、
小さな子どもや犬などのペットが一緒に乗っていると、
大人同士の気まずさが自然と和らぐことがあります。
子どもの動きや表情に自然と視線が向いたり、
「かわいいですね」というひとこと
がきっかけになったりするからです。
高齢の方が一緒であれば、
「今日は暑いですね」といった一言が、
不思議とスムーズに出てくることもあります。これは、
会話の主役が「大人同士の関係」から
「その場にいる第三者」へと移ることで、
緊張の矛先が分散されるためだと考えられます。
なぜ沈黙が「実際より長く」感じられるのか
不思議なことに、エレベーターの中の沈黙は、
時計で計るとほんの数十秒であることがほとんどです。
それなのに、体感としてはその何倍もの長さに感じてしまう。
「何もしていない時間」への敏感さ
これは、
何もしていない時間・何も話していない時間に対して、
人の感覚が敏感に反応しやすいこと
と関係していると言われています。
楽しい会話をしているときの1分と、
沈黙のままただ立っているときの1分では、
同じ長さでもまったく違う体感になるのは、
多くの方が経験からも納得できるのではないでしょうか。
行列に並んでいるときの時間や、病院の待合室での時間が、
実際よりも長く感じられるのと、
どこか似た感覚かもしれません。
逃げ場がないという特殊さ
加えて、エレベーターという空間は逃げ場がありません。
会話が途切れても席を立てるカフェとは違い、
扉が開くまでは、その場から動くことができない。
この「逃げられない」という感覚が、
沈黙の時間をより長く、
より重く感じさせているのかもしれません。
電車の中であれば、
車内を見渡したり吊り革の広告を眺めたりと、
視線を逃がす先がいくつもあります。
ところがエレベーターの箱の中には、
視線を向けられる先がとても少ないのです。
「無音」であることも気まずさを
後押ししている最近のエレベーターは静音性が高く、
モーター音や走行音がほとんど聞こえません。
音楽が流れているカフェや、
人のざわめきがある電車の中であれば、
沈黙はそれほど不自然に感じられません。
ところがエレベーターの中では、
物音ひとつしない完全な静けさの中に、
二人分の呼吸音だけが響くような感覚になります。
この「無音」という条件も、
沈黙をより強く意識させる要因のひとつだといえるでしょう。
狭さが距離感を強調してしまう
物理的な距離の近さも見逃せない要素です。
普段の生活であれば、
知らない人とここまで近い距離に立つことは、
そう頻繁にはありません。その物理的な近さが、
心理的な緊張感をさらに強めているとも考えられます。
電車のつり革につかまっているときとは違い、
エレベーターの中では体の向きも表情も、
どうしても相手の視界に入りやすくなります。
だからこそ、「見られている」という感覚が強まり、
自然と気を張ってしまうのです。
鏡張りのエレベーターは、
緊張感をさらに増幅させることが
あるタワーマンションのエレベーターには、
壁面に鏡が張られているタイプも多く見られます。
広く見せるための工夫ではあるのですが、
乗り合わせた相手の姿だけでなく、
自分自身の姿まで否応なく視界に入ってくるため、
視線のやり場がさらに限られてしまうという声もあります。
どこを見ればいいのか分からず、
結局は階数表示の数字を見つめ続けることになる。
そんな経験がある方も、きっと少なくないはずです。
気まずさを消そうとするほど、逆に長引いてしまう理由
ここで少し意外な話をしたいと思います。
気まずさを感じたとき、
多くの人は「何か話さなければ」と考えがちです。天気の話、
エレベーターの速さの話、
今日の予定の話。
とっさの話題は中途半端に終わりやすい
けれど、無理に話題をひねり出そうとするほど、
かえって間(ま)が悪くなってしまうことがあります。
なぜなら、
とっさに出てきた話題は中途半端な長さで終わりやすく、
「話した後の、
もう一段階気まずい沈黙」を新たに生んでしまうからです。
「今日は暑いですね」「そうで
すね」そこで会話が途切れると、
発言する前よりもむしろ空気が重くなってしまう。
そんな経験をしたことがある方も多いのではないでしょうか。
努力そのものが逆効果になることがある
結果として、何も話さなかった場合よりも、
気まずさの総量が増えてしまうことすらあります。
これは、飲み会や合コンなど初対面の場で、
沈黙を怖がって次々に質問を重ねてしまい、
かえって場が疲れてしまうのと似た構造です。
相手も自分も、
本当は少し黙っている時間があっても構わないのに、
「沈黙は悪いこと」という思い込みが、
無理な会話を生み出してしまうのです。つまり、
気まずさをゼロにしようとする努力そのものが、
かえって気まずさを長引かせている場合がある、
ということです。これは、
無理に会話を続けようとしなくてもよい、
という一つの気づきにもつながります。
沈黙は「失敗」ではない
そもそも、エレベーターの中で会話が生まれないことは、
何かに失敗しているわけではありません。
見知らぬ人、あるいはよく知らない人との間で、
沈黙が流れるのはごく自然なことです。
海外では、そもそもエレベーターで会話を
しない文化もある国や地域によっては、
エレベーターの中で見知らぬ人と会話をすること
自体が一般的ではないところも多くあります。
むしろ、「静かに過ごすのがマナー」と
考えられている文化圏も少なくありません。
そう考えると、
日本人特有の「話さなければ失礼」という感覚の方が、
実は世界的に見れば少数派なのかもしれません。
エレベーターの中で無言でいることは、
決して非常識なことでも、特別に気まずいことでもない。
そう捉え直すだけで、
気持ちがふっと軽くなる方もいるのではないでしょうか。
「沈黙=気まずい=自分のコミュニケーション力が
足りない」という思い込みを一度手放してみると、
気持ちがかなり軽くなります。
相手も同じように感じている可能性が
高い沈黙が続いているとき、
「気まずいと思っているのは自分だけかも
しれない」と考えてしまいがちです。けれど実際には、
乗り合わせた相手も同じように、
心の中でそわそわしていることがほとんどです。
お互いに「何か話した方がいいのかな」と思いながら、
どちらも切り出せずにいる。
もしその場に第三者がいたら、
二人ともまったく同じように緊張していることが、
きっとすぐに分かるはずです。
それくらい、気まずさはお互いさまのものなのです。
そう考えると、気まずさはあなた一人の責任ではなく、
その場にいる全員で分け合っているも
のだと思えるようになるかもしれません。
気まずさを軽くする、ちょっとした心の持ちよう
では、どうすればあの独特の空気を軽くできるのでしょうか。
ここでは、
無理をせずに実践できる3つの考え方をご紹介します。
会釈だけで、実は十分だと知っておく
言葉を交わさなくても、
軽い会釈ひとつで「あなたを無視していません」と
いう最低限のメッセージは十分に伝わります。
会話を成立させることが目的ではなく、
お互いに嫌な気持ちにならないことが目的だと考えると、
会釈だけで十分だと思えるようになってきます。むしろ、
会釈すらせずに完全に無視をしてしまう方が、
相手に不快な印象を与えてしまう可能性があります。
「話す」か「無視する」かの二択ではなく、
その中間にある「軽く会釈するだけ」という選択肢を、
自分の中の当たり前にしておくと気が楽になります。
スマートフォンを見ることに罪悪感を持たなくていい
「気まずいからスマホを見るのは失礼かも
しれない」と感じてしまう方もいますが、
実際には多くの人が同じようにスマートフォンを見ています。
視線のやり場に困る時間を、
自然な形でやり過ごすための手段として、
気にせず使ってしまってよいでしょう。
ニュースを読むでも、天気予報を確認するでも構いません。
大切なのは、
「何もせずに突っ立っている状態」から抜け出し、
視線と気持ちの置き場所を確保することです。ただし、
すでに顔なじみになっている相手の場合は、
最初から画面に視線を落とすのではなく、
一度会釈をしてから使うようにすると、
より丁寧な印象になります。
順番を少し意識するだけで、
同じ行動でも相手に与える印象が変わってくるものです。
階数ボタンの近くに立つと、気持ちが落ち着きやすい
操作パネルの近くに立つと、
自分の階数表示を確認するという「やること」ができるため、
手持ち無沙汰な感覚が和らぎやすくなります。
視線を向ける先が決まっているだけで、
不思議と気持ちが落ち着くという方も少なくありません。
特に混み合う朝の時間帯であれば、
階数ボタンの近くに立つこと自体が、
「開くボタンを押す係」という自然な役割にもなり、
気まずさよりも実用性の方が前面に出やすくなります。
「気まずい」と感じられること自体は、
悪いことではない最後にもう一つ、
心に留めておいてほしいことがあります。
気まずさを感じるということは、
相手のことを意識し、
失礼のないようにしたいと考えている証拠でもあります。
もし何も感じずに平気で無視ができる人であれば、
そもそも気まずさという感情自体が生まれません。
あなたが感じているその小さな緊張感は、
周囲への気配りができている表れだと考えると、
少し誇らしく思えてくるかもしれません。
顔見知りになった後の方が、実は気まずいこともある
意外に思われるかもしれませんが、
何度も顔を合わせて「顔見知り」になった後の方が、
まったくの初対面よりも気まずさを
感じるという声もあります。
関係の「間合い」が定まらない戸惑い
完全に他人であれば、話さなくても不自然ではありません。
けれど、「もう何度も会っているのに、
まだ話したことがない」という関係になると、
今さら挨拶以上の会話を始めるタイミングを
見失ってしまうことがあります。
これは、人見知りだからというより、
関係の「間合い」が定まっていないこと
による戸惑いに近いものです。
会う回数が増えるほど気まずくなる不思議
初めて会ったときは会釈だけで済んだのに、
2回目、3回目と回数を重ねるうちに、
「そろそろ何か話した方がいいので
は」というプレッシャーを、
自分の中で勝手に育ててしまう。
これは決して珍しいことではなく、
むしろ多くの人が経験している感覚です。
職場でも、似たような経験をしたことが
ある方は多いのではないでしょうか。
入社したばかりの頃は、
どんな相手にも自然に挨拶ができていたのに、
同じ部署で何年も一緒に働くうちに、
今さら世間話を始めるきっかけを失ってしまう。
エレベーターの中の気まずさは、
こうした「近いのに踏み込めない関係」という、
人間関係にありがちな悩みの、
ごく小さな縮図なのかもしれません。実は、
こうした人付き合いの間合いの取り方については、
大人の友達の作り方、人見知りより“会う回数”が9割だった
でも少し違う角度から詳しく取り上げています。
よろしければあわせてご覧ください。
会う回数が増えることは、
本来であれば関係が育っていく良いサインでもあります。
エレベーターでの気まずさも、
見方を変えれば「顔なじみになりつつある証拠」と
捉えることができるかもしれません。
あいさつのハードルを、自分から少しだけ下げてみる
もし気まずさを少しでも減らしたいのであれば、
「会話をする」ではなく「あいさつの言葉を一言増やす」と
いうくらいの小さな一歩から始めてみるのもおすすめです。
「おはようございます」だけだったところに、
「今日は暑いですね」とひとこと添えるだけでも、
関係の間合いは少しずつ変わっていきます。
相手が返事をしなくても、
それは失敗ではありません。
言葉を発したこと自体が、
「敵意がない」というメッセージと
してきちんと伝わっているはずです。
季節ごとの一言(暑さ・寒さ・雨など)は、
特に使いやすい話題です。
相手も返事に困らず、
それでいて「感じの良い人だな」という印象だけが残ります。
気まずさは「最初の数十秒」だけのものかもしれない
公共の場での気まずさというのは、
実はエレベーターに限った話ではありません。
たとえば一人で銭湯に行くときの緊張感も、
慣れてしまえばあっという間に
なくなるものだと言われています。
そのあたりの感覚については、
一人で銭湯、恥ずかしいと感じるのは最初の5分だけだった
でも触れていますので、
気になる方はこちらもぜひ読んでみてください。
「慣れ」が気まずさを解決してくれる
初めて訪れた場所や、初めて経験する状況では、
誰でも多少の緊張を感じるものです。
けれど、その状況に何度も身を置くうちに、
気づけば気にならなくなっている。
タワマンのエレベーターも、
入居したばかりの頃は毎回気まずさを感じていたのに、
半年、1年と経つうちに、
「いつもの光景」に変わっていく方が多いようです。
今日の気まずさは、成長の途中にある
エレベーターの気まずさもきっと、
「今日はこの人と乗り合わせただけ」と
いうくらいに軽く捉えられるようになれば、
数十秒のことだと思えるようになっていくはずです。
今、気まずさを強く感じているということは、
裏を返せば、
まだその建物・その暮らしに慣れきっていない新鮮な段階に
いるということでもあります。
引っ越したばかりの緊張感は、いつか必ず薄れていく
新しい住まいに引っ越した直後は、
エントランスの開け方から、
ゴミ出しのルール、エレベーターの操作パネルの位置まで、
すべてが新鮮で少し緊張するものです。
その緊張感の一部として、
住民同士のちょっとしたすれ違いも、
最初は大きく感じられがちです。
けれど、半年後・1年後の自分を想像してみてください。
きっとそのころには、エレベーターでの数十秒を、
特に気にも留めなくなっているはずです。
今の気まずさは、永遠に続くものではなく、
新しい暮らしに慣れていく途中の、
一時的な通過点にすぎません。
長く同じタワーマンションに住んでいれば、
「最初の数ヶ月は毎回緊張していたのに、
今ではエレベーターの中で考え事をしている間に
自分の階に着いている」というくらい、
気にならなくなっていくことも十分に考えられます。
気まずさを感じなくなる日は、
思っているよりも早くやってくるものかもしれません。
まとめ
タワマンのエレベーターの気まずさは、
ひとことで言えば「沈黙の長さそのもの」の問題ではなく、
「逃げ場のない密室で感じる、
体感時間のズレ」から生まれています。
無理に会話で埋めようとしなくても、
軽い会釈だけで十分ですし、
スマートフォンに視線を落としても構いません。
階数ボタンの近くに立って、
視線の置き場所を決めておくだけでも、
気持ちはずいぶん落ち着きます。
最初は気まずく感じても、
それはほんの数十秒のことです。
そして、その気まずさを感じられること自体が、
相手を思いやる気持ちの表れでもあることを、
どうか忘れないでいてください。
今日からエレベーターに乗るときは、
「話さなきゃ」ではなく「今日はこの空気でいいや」と、
少し肩の力を抜いてみてはいかがでしょうか。
そのくらいの軽い気持ちが、
毎日のちょっとしたストレスを減らしてくれるはずです。
同じ建物で暮らす者同士、
いつか自然に言葉を交わせる日が来たら、
それはそれで、とても嬉しい出来事になるはずです。
けれど、今日・明日にそうならなくても、
まったく焦る必要はありません。
会釈だけの関係も、
立派な「良いご近所付き合い」のひとつの形です。
数十秒のエレベーターの時間を、
これからは少しだけ穏やかな気持ちで過ごせますように。
肩の力を抜いた分だけ、毎日の暮らしは、
少しずつ心地よいものになっていくはずです。


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